YOSHITADA IHARA'S ART MUSEUM 井原良忠のEARTH WORK

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加古川商工会議所 商工かこがわ 5月号掲載エッセイ
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『環境心』

「水が何であるかを意識する魚である・・・」

新思想家とも評されたカナダ人の社会科学者、マーシャル・マクルーハン(1911‐1980)の言葉である。

ポップカルチャーの超売れっ子学者だったが、当時の私にとっては遠い存在で著書を一冊読んだ程度であった。あ まり深入りする気もなかったにも関わらず、その「意識する魚・・・」がいまだに鬱々と脳裏を過る。

最近は地球規模の温暖化が深刻になってきた。生態系の崩壊とか、二酸化炭素の削減が大きく叫ばれている。

南の国では森林伐採が急ピッチで進み、野山は荒れ放題。反してわが国では、屋上・壁面緑化などの推進が義務化される 地方自治体も増えた。

各地で緑をテーマにした博覧会も軒並み実施された。筆者も彫刻の傍らライフワークとして研究を重ねていた 苔植物と工業製品を組み合わせた「癒しと環境に優しい」オブジェである環境芸術を創作し、提案活動を試みた。2 000年の淡路花博や大阪のNHK新放送会館エントランスに『巡回展その後・・・』として展示した。

地球の陸上に生まれた最初の植物である苔は生態系の基盤だと言われている。「苔が育たない環境は人間も生き られない」と言われ、地球に優しい救世主だとメッセージを発信したが、あまり市民権も得られないまま時間は経 過した。それでも昨年末には加古川市内の小学校3校の課外学習として、校長先生も交えて苔玉作りの体験を伝え た。

振り返れば高度経済成長も華やかな中、彫刻芸術の世界は米国を中心に一大旋風が起こった。それまで台座の上に彫像が設置されていたが、それらを支える大地も、回りの空間も作品だと言う・・・まさにマクルーハンの「魚が水を意識したように」、彫刻家は周 辺の空間を意識し始めていた。

アースワークという土木工事のような地面に穴を開ける彫刻?も、環境芸術という概念も生まれた。私の彫刻家 としての大きな転換期も、ライフワークだった苔という植物を研究し始めたのも、この頃だった。それまでは発表 の場が美術館の中に限られていたが、屋外の公園などに彫刻が設置され始めた。作品が記念碑的な象徴とか景観的 な点景物としての存在から、様々な進化を展開した。彫刻家達は、多くの要求とも妥協した。華々しい彫刻芸術も 経済の発展とともに時代の変化に流された。

さて、右肩上がりの時代が過ぎ、バブル崩壊を経て、いまだ経験をしたことがない、のっぴきならない温室効果ガスによる温暖化が身近に起こりはじめた。近頃の気候変動も、マスコミ報道などからリアルにわかるようになった。

一抹の不安と希望が入り交ざった感情のまま、かのマクルーハンの言葉が蘇った。「水が何であるかを意識する魚・・・」ではなく「環境が何であるかを意識する人間であれ」と、私は読み替えた。この地球上のすべては、連なりの総体である。何一つ欠けても持続可能な平和な環境は生まれない。

宗教学者で著名な山折哲雄は、現代人が失った自然を崇拝する心の復権を叫ばれている。朝日に手を合わせ大海原に向かい礼拝をする。もしそんな自然と共振できる優しさをみんなが共有できたら、病める地球の環境も少しは癒されるのではないのか?

もし新しい環境彫刻を創る機会を得たならば、そんな環境を想う優しさをコンセプトにしてタイトルを「環境心」としたいものだ。苔むす潤いの緑と金属が奏でるコラボレートなフォルムは、まさにエコロジカルな優しさに満ちた風景となるに違いない。